2011年12月17日土曜日

ジャカルタ日本人学校大同窓会開催!

小学校の4年から中学1年まで、インドネシアのジャカルタ日本人学校に通っていた。
この時代は、わたしの想い出のいつも中心にある時代。
それまで、チビでやせで泣き虫だったわたしが、赤道直下のジリジリとした太陽の光線を浴びて、性格を全取っ替えしてきた感がある。
太陽のお陰で、わたしを包み込んでいた壁の全てが溶け去った感じ。
とにかく、今のわたしの基盤が出来た時代なのだ。

今回、その頃の仲間に招集をかけるチャンスを頂いた。
先ずは兄弟関係で広めるのが一番。
3つ下の妹の所は、既に去年のうちにメーリングリストを作ったと情報が入っていたので、早速メールで伝える。
2つ上の学年も良く集まっていると聞いていたので、キーパーソンのO先輩にメールを入れた。
後は、MIXIのJJSグループにも流してみた。
そこから、広がる広がるドンドン広がる。
最終的には62名もの元児童生徒が集まることに。
もう、伝言ゲーム状態で、ある方は、わたしに直接電話をしてきて下さった。
「振り込め詐欺じゃないよね?確認させて!」、笑っちゃった!
考えたら、あり得る話かもしれないよね。

わたしの学年は丙午の学年で、昭和41年と昭和42年の早生まれの学年。
上は昭和36年生まれの方から、下は昭和47年の早生まれの方まで。
10年のひらきがある異学年の大同窓会となった。

大変申し訳ないのだが、メールを知らない人には伝言は伝わっていない。
兄弟で連絡が出来ている人は、兄弟そろって参加して下さっているし、
兄弟には伝わっていなかった!という所もあったはず。
わたし自身も、3つ下の妹には伝えたが、5つ下の弟には伝えなかった。
でも、弟の学年の方も2人ご参加頂いたので、連絡すれば良かったと反省した。

もう、懐かしすぎて、嬉しすぎて、大興奮状態。
レストランの方がお料理が出せないくらい、誰も席に座っていない状態。
あっちこっちで立ち話。
多くの先生方にもお会い出来たし、憧れの先輩方にもお目にかかれ、
なんだか、法事に出て、親戚の人たちに会った感じ。
顔は知っているけど、誰だっけ?みたいな。
残念なのは、時間が全く足りないこと。
もっともっと色んな人と話したかったな〜。

参加した人の全てが、親戚な感じで、
同じ時期を同じ場所で過ごすことって、スゴいことだと、
改めて感じることが出来た。

一人一人の醸し出す想いが、会の雰囲気を作る。
笑顔があふれていて、一人一人の目がキラキラしていて
と〜っても素敵な時間だった。

ジャカルタでの滞在のチャンスをもらえたことに、
心から父に感謝したいと思った。
もしかしたら、この機会も亡くなった父がくれたのかも?!
『縁』を『絆』にすることが出来るチャンスを作って下さった先生に
心からお礼を申し上げたい。

新しい出逢いに感謝。
参加下さった一人一人の方に、深くお礼を申し上げたい。

残念ながら当日お越しに慣れなかった方々、
来年お目にかかりましょう♡

過去は資産。友も資産。あの時代の全てが、わたしの資産。
大切にしていく。

2 件のコメント:

  1. 美穂ちゃんが、ジャカルタで多感な時期を4年も過ごされて、そんなこと全然知らなかったです。何か、輝いて、自由な感じで、短大時代も魅力的だったけれど、その日本人離れした空気って、ジャカルタから始まってたのね。南の国って、植物が大らかに大きく育つイメージあるけど、美穂ちゃんもそんな感じなのかしら。でも、繊細で日本人らしい所も共存してて。美穂ちゃんの事がもっと知りたいと思う春日なのでした。

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  2. >しゃろ〜むさん、コメントありがとう!
    赤道直下のジリジリした太陽に当たった時期があって、今の私も性格も作られていると思います。
    インドネシアは貧富の差も激しく、多感の時にそういう現実を見ることが出来たことも、モノの見方に大きく影響しています。
    性格の半分は、生まれた年月日によって決まっている様ですが(バースデイサイエンスと言います)環境がもう半分を作っているそうです。環境って大きいですよね。
    コレからもお付き合い下さいね♪

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