物心ついた結構幼い頃から
「私はこんなに不仕合わせなの or 私はこんなに不幸なの」
みたいな話を聞くことが
とっても苦手な私。
聞いている間に、その人の不仕合わせや不幸が感染して
私自身までもが不幸になっていくような
気がしてしまうから。
実際、その人の楽しい話を聞くと
聞いている自分まで楽しくなることがあるのと同じくらい
その反対もあるということ。
感染させるなら
幸せの感染がよいよね。
最近、こんな歳になって初めて気が付いたの。
世の中には、幸せが嫌いな人もいることを。
不幸でないと落ち着かない人もいるんだと言うことを。
でも、その人は決して不仕合わせだったり、
不幸だったりする訳じゃなく
不仕合わせだとか不幸だとかって
その人自身が思い込んでいるだけだ。
自分が幸せか不幸せかなんて
その人が決めること。
その人の考え方一つで
幸せにもなるし、不幸せにもなる。
何を見ても何を聞いても
取り方や解釈の仕方に寄って
ずいぶんと変わってしまう。
どっちに属したいかも
あなたが決めている。
自分の心の中や、自分を取り巻く人、取り巻く環境に
いくらでも散らばっている幸せのかけらを
見つけるのが上手な人でいたいな。
そうすれば、今ある自分を
有り難いと思えるんじゃないかな。
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